町工場二階空目薬工房

KOICHI FURUYAMA


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C.W.ニコル講演「捕鯨調査と庄司船長の思い出」(1)

Thursday June 6th
It started to rain like hell, so we could do little else but to retire to our tents.
The wind rolls and the rain beat down with great violence.
As I lay in my sleeping bag, I noticed ominous drips which came at first only at one spot and then all over the walls of the tent belonging, I might add, to the Arctic Institute of North America.
I slept in an inch deep paddle of water, soaked to the skin. A blizzard developed and the bag froze, nevertheless I slept. There’s at least three months to go yet.

地獄の様に雨が降り出す。テントに戻って寝るしかなかった。
風が上がって暴力的に雨が降り出した。
シェラフで寝ていると、最初は一か所だけから不気味なしずくが滴り落ち、その後、それが北アメリカ北極協会のテント全てに広がった。私は皮膚までびしょびしょになりながら、1インチの水の中で寝た。吹雪は激しくなり、シェラフは凍ってしまった。しかし私はそこで寝た。これから少なくとも3ヶ月。

私が17歳、最初の北極探検の時の日記です。美和子がみつけてカナダから持ってきました。最初に皆さんに会った時、皆さんは17歳。当時の僕と同じ位の歳ですね。びしょびしょになっても、シェラフが凍っても、寝ちゃった。変な子だったね。それで、テントが駄目になったから小屋を作ったんです。その時私は、文化人類学者のラウダ先生と一緒に調査をしていました。先生は僕に色々な研究を任せて、しょっちゅう僕を一人にしたの。先生の本を後で読んだら、僕はうるさかったらしいね。いつでも詩を朗読したり、歌ったり、踊ったり。たった2人だけの何ヶ月だったけど、小屋の外に牛乳届けてくれるおじさんや郵便局のおじさんへの注文を書いたの。真面目に考えないでよ。居ないよ、そういう人。でも、「Please give us 2pint of milk with lots of cream. And if you have any ice cream, yes please. Dr. Driver will pay.」とかね。そういうナンセンスなノートを置いてました。でも、昨日までそういうことを忘れてました。だから皆さん、出来るだけ自分の60歳、70歳、80歳の為のノートをちゃんと書いてよ。自分の若い時、大事にしてね。この日記の中で、私は「エスキモー」という言葉を使ってましたが、今は絶対に使いません。26歳の時、7回目の北極探検でイヌイットの友達に「エスキモーという言葉は辞めてくれ。意味分かる?」と。それまでは「エスキモー」は彼らの言葉だと思ってたんですね。でもティパワイヤンの言葉で「生肉食うやつら」という意味です。だからカナダでは今、放送禁止用語です。

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