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C.W.ニコル講演「捕鯨調査と庄司船長の思い出」(2)
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1960年、3回目の探検の時、ラウダ先生と一緒にグリーンランドの横にあるデボン島という北海道位の大きさの島に行きました。その島には冬は我々5人だけ。夏は21人の国際的な科学者が来ました。だいたい5月頃飛行機で来て、大学の先生ですからみんな9月頃に帰りましたね。僕はその時20歳だったけど、一番北極の経験があったんです。探検隊隊長と先輩達がみんな南極の探検家だったんです。違うんですよね。南極には、少なくとも人間が書いた歴史の中には人類が住んでない。そして陸の動物が居ない、熊が居ないです。
北極には、昔からアジアから渡って来た人類が住んでいます。そして白熊がいます。人間や白熊が居るから、北極のアザラシはすぐに逃げるんです。氷の上に居れば、300m位先に人間の姿が見えたらすぐに逃げます。南極では全く逃げないんです。南極でアザラシの肉を食べたかったら、大きな棒を持ってアザラシに「ごめん!」と言って、ボン!とやればいいんです。だから先輩達は猟の経験が全くなかったんですね。
我々の食べ物はデボン島に、前の年に砕氷船で最初に届いたんです。次の年に我々が行った時には、もちろん空です。美味しい缶詰めの肉、ビタミン、缶詰めの果物は全部船の連中に盗まれた。だから我々は1年、缶詰めの肉、ビタミン、缶詰めの果物なし。それは着いてから分かったんです。ビタミンや果物がないと、2,3週間で歯茎から血が出始めて関節が痛くなる。そのままいったら死ぬ。帆船時代に大部分の船乗りが死んだんですね。ビタミンCがないと、脚気位重いんです。
だから私が猟をやったんです。それから、北極には小さな湖が一杯あったんですね。「魚が居るかどうか分からなくても、まず最初に湖の深さを測れ。12m以上だったら北極地方には必ず魚が居る。」と私は分かったんです。今は探検家のスタンダードになっています。魚やアザラシ、ウサギやガンを獲って、色々とやりました。20歳ですよ。仲間の食べ物を僕が獲らなくてはならない。すごく楽しかったです。この時から覚え始めたことはとても役に立ちました。
このラウダ先生のことですが、まだ若い20代の頃、カナダの西北極、ユーコンというアラスカに近い所で発掘をしてたんです。彼はアジアからマンモスを追いかけて来た人々を探していたんですね。そしてマンモスの子供の牙を見つけたんです。1m位だったそうです。この牙に傷跡が一杯あった。そして周りには骨があったし、骨にも傷跡があった。その当時、小さな道具を使う文化があったんです。Small tool culture。例えばトナカイの角に溝を切って、そこに黒曜石の小さなかけらを入れて、この道具でマンモスやくじらを解剖してたんです。子供のマンモスの牙に、折れた道具のかけらがあったんですよね。ラウダ先生は小躍りしたらしい。
一緒に居た60代のイヌイットの年寄りに、「こんなでっかいセイウチの牙を見たことないだろう。」と。冗談言うつもりだったんですよ。でも、そのおじいさんがカンカンに怒って、「お前はバカじゃないか。どれほど掘ったか。貝は見つけたか。セイウチは貝を食べるでしょう。セイウチの牙じゃないよ。これはカイファルケ!」と。松木さんみたいなおじいさんだったんですよ。このおじいさんは本が読めない、まだテレビがない時代ですよ。ラウダ先生はマンモスの牙だって知ってたよ。でもカイファルケという言葉は知らなかった。「カイファルケって何ですか?」と。そうしたらその年寄りが「あー。お前はバカだ。」と、ノートを取って、鉛筆を持って、マンモスの絵を描いたんです。少なくとも、マンモスが生きていた時代は8千年前ですが、言葉は残っていましたね。
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