町工場二階空目薬工房

KOICHI FURUYAMA


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C.W.ニコル講演「捕鯨調査と庄司船長の思い出」(8)

伊藤さん:
フランスに住んでいた時に、「日本人は鯨を捕り過ぎている。」と責められたんですけど、何て言ったらヨーロッパの人に納得してもらえたのでしょうか。

ニコルさん:
ヨーロッパで捕鯨をやっている国はノルウェーとフェロー諸島です。英国はずっと脂の為に捕鯨をやっていました。特に第一次世界大戦ではその脂はニトログリセリン、ダイナマイトに使ってました。日本の捕鯨の文化と随分違う。フランスでは帆船時代にバスクが鯨を捕ってましたけど、鯨の数が減ってからは捕らなくなりました。だから、「人の文化を責めるんじゃないよ。」ということですね。でも、捕り過ぎたのは、捕り過ぎたよ。その時は「捕鯨オリンピック」と言って、全体の枠があってその枠を捕ったら終わりだったから、ノルウェー、ロシア、オランダ、英国もみんな競争して捕った。
今の捕鯨は調査捕鯨。それも叩かれてるけど、ごく僅かの鯨、しかも主にヒゲ鯨で一番小さいミンククジラを捕ってますね。でもこれは感情論になって、なんと言っても聞かないです。一番の過激派は、フランス、オランダ、ベルギー、ドイツ、イギリス。アメリカ人と話をする時、僕がいつも言い返すのは、「アメリカは捕鯨を止めてない。アラスカでずっと北極セミクジラを捕ってます。」と。フェロー諸島では平気で鯨を捕ってますね。イギリスは海軍送って戦争をやるとフィリップ殿下は言ってたんですけどね。
じゃあ、観光客は行かないかというと3倍に増えました。皆鯨を見たいから。野生の動物を殺して食べちゃいけないというんだったら、どうするの?誰もシロナガスやザトウクジラは捕らないよ。よく捕るのはミンククジラ。ミンククジラは特に南極ではもの凄く多いから。私は8時間ちゃんと数えて840頭数えました。でも、南極で捕鯨は続かないと思います。何故かというと母船がもう50歳位ですよ。新しい船を作るのは何十億とかかるんです。飛鳥を作るよりもかかる。そうすると何百頭の鯨を捕るだけじゃ採算が合わないんですね。3千頭〜4千頭位捕らないと駄目。それは世界が許さないでしょうね。沿岸捕鯨が続けばいいと思う。

丹羽さん:
私はニコルさんが20代の頃にイヌイットに感銘を受けて、いつか住みたいという話しが面白かったんですけど、いつかここに住もうと決めた気持ちは今も持ち続けているのでしょうか。それからイヌイットの人達は何語でしゃべるのでしょうか。

ニコルさん:
年寄りはみんなイヌイットの言葉(イヌクゥティトゥト)。若者は、高校や大学に行ってるから、英語は抜群ですよ。それから、私はしょっちゅう帰るの。ずっと居るというのは考えてないんですけど、毎年行きたいなと思っています。イヌイットの環境は大分変わりました。犬ぞりを使う人はほとんどいないし、カヤックは沢山あるけど、漕いでるのは僕みたいな白人で、イヌイットはカヤックを使ってない。温暖化してますから、どんどんと氷が減ってますね。でも気持ちは変わらないよ。凄い自然がありますからね。

高嶋先生:
ラウダ先生と探検をしていて、ニコルさんが描いたスケッチは全てラウダ先生が利用しちゃった訳ですよね?それについてはどうお考えですか?

ニコルさん:
気にしてないよ。僕にその内に返して欲しかったんですよね。彼は学者、僕は作家だから、今あったらいいなぁと思ってます。でもラウダ先生が20何年前に亡くなりましたが、手紙は全部取ってあります。それも美和子が持って帰って来てくれた。ラウダ先生は、その後アフリカでリーキー博士と一緒に研究をしたんです。リーキー博士はエチオピアのハイレサラシエ皇帝と親しくて、「エチオピアの北の山で新しい公園長が必要なんだ。山がとても寒くて、人々がとても誇り高くて、山賊が沢山居るから、戦いが強く、寒さに強く、人種偏見のないという人いないか?」と。リーキー博士から聞いたラウダ先生は「知ってるよ。」と。それで僕はエチオピアに行ったんです。

尾立さん:
2千年前の集落を見つけられたということですが、自然の恵みを本当に大切にして、その様な大きな村が成り立っていたと思うのですが。

ニコルさん:
その通りです。その集落を見つけた場所の近くの海は凍らないで1年中開いているんです。色々な流れがあるから、アザラシもセイウチも鯨もここに集まるんですよ。

尾立さん:
鯨を手で捕る技術なんて想像がつかないんですけれど。化け物みたいに大きな鯨に挑んでいく技術や文化が途絶えてしまうのは、本当に残念ですね。

ニコルさん:
やり方はまず、鯨に銛を投げてその銛にいくつかの木が付いていて、鯨を疲れさせるんです。そして、ろっ骨の間から長い槍みたいなもので心臓まで刺すんです。今はアラスカで銛の先に真鍮の銃が付いているものがあります。銛を刺すでしょ。それで、銛が肉に入って脂肪に入った時に、引金じゃなくて押し金があるからそれを押して銃が発射する。ろうそく位の長く細い爆弾が中に入って爆発します。これは帆船時代の技術ですけどね。
カナダのイヌイットは今は1、2頭しか捕らないです。でも手銛で捕ってます。アラスカは50頭捕ってますね。100年以上あまり捕ってないから鯨の数は帆船時代と同じ位に戻りました。北極セミクジラはカナダに沢山いますよ。面白いのは、日本の学者と遺伝子の話しをしてたら、自殺遺伝子があると言うんです。特に南米のインディオと北極のイヌイット、色々な少数民族に多い遺伝子がある。それで僕は悟ったんですね。だってあんなでっかい鯨を細いカヤックで、沈したら2〜3分しか生きられないものを、手銛で捕るって自殺行為ですね。
成功したら自分の家族だけじゃなくて、村全体食べられるからヒーローになるけど、海の中で「俺はヒーローになるからやる。」っていうことは、何かを超えなくちゃ行けないんですよ。だから、若いイヌイットの自殺率はすごく高いです。挑むということがないと駄目なんですね。例えばヒヒにも自殺遺伝子はあるんじゃないですかと、先生に話したんですよ。豹が来るとヒヒは皆とにかく逃げる。ただ、小さい子供が木から落ちてある声を出すと、若者のヒヒは半分以上豹に向かって行くんですよ。だから、ヒヒにも勇気があるね。
昔のイヌイットは腸の外の皮を丁寧に取って乾かしてアノラックのカバーに使ってたんですね。水が通らないから。僕は食べてます。北極セミクジラ。うまいぞぉー。

???さん:
新聞か何かで、鯨を捕らないでいたから、鯨の数が増え過ぎて問題になっているという様なことを読んだことがあるのですが。

ニコルさん:
その論理は、鯨が魚を食べ過ぎているから、魚が減っているというものですよ。でもね、大昔、鯨沢山居たよ。魚も沢山居たよ。本当に鯨のせいかね?確かに鯨は沢山魚を食べるけど、僕はその論理はちょっとおかしいと思う。ただ勘として、南極でミンククジラはあまりに多い。年寄りの鯨捕りに聞いたら、「昔はこんなに居なかった。」と。大きな牧草地の中に象が居て、牛が居て、山羊が居て、ウサギが居た。
象を獲ってしまってほとんど居ない。牛も獲ってほとんど居ない。山羊はちょっと居る。ウサギは獲らなかった。ウサギは増えますね。ウサギが増えたら象のエサ分がないじゃないか。といった勘はします。私は日本国籍ですから日本を悪く思われたくないから、捕鯨は慎重にやるべきだと思いますね。

高島先生:
庄子船長とはうまが合ったという事ですが。どうして仲良くなったとお思いですか?

ニコルさん:
僕は役人だったんですね。26歳の役人。庄子船長が1つ言ったのは「日本の役人は凄く威張るけど、君は役人らしくない。」と。僕は、「威張る必要はないですよ。皆さんはちゃんとやってるから、僕が言う必要がない。でも違反したら私はレポート書きますよ。」と。それと2人共飲兵衛で歌が好きだったんです。あと、僕はいつも「これ何?これ何?」と質問したんです。船長はその頃40いくつ。若い人が一生懸命を物を聞くとなったら可愛いじゃないんですか?

高島先生:
先程も「これは私の勘ですが」とおっしゃってましたけど、勘で感じたことが合ってることが多いですよね。そういう勘はどこで研ぎすまされたのでしょうか。

ニコルさん:
確かに勘が当たってることは多いね。でも、どうしてかは分からないよ。でも、皆もあるでしょ?磨けばあると思います。自然の中に居るとα状態になる時間が都会に居る人と比べると遥かに多いですね。α状態になると色々な刺激がちゃんと、脳の中のどこかに置いてあります。
例えば、ラウダ先生と一緒に探検に行った時に、raised beachを歩いてたんです。そこで古いトゥーリーの家が数軒あった。それを見て私は、「おかしいな。」と感じたんです。入り口が海に面してなくて、数百m離れてお互いに向き合ってたんです。よく見たらアイスキャップからかなりの土石流が流れてたから、その土石流が間の入り江を埋めて平らにしたんですよね。だから昔、ここに入り江があったなと。1km位中に入ったらまた浜があったんです。
その浜は砂利浜で、大きい居心地いい岩があった。俺は、「8千年前の佳い日に何か作るなら、海を見ながらこの岩に座ってやるな。」と、その岩に座ってサンドイッチを食べて、紅茶を飲んで、足元を見たら、ぎっしり矢尻があったんですね。それで、ラウダ先生を呼んだんです。

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