町工場二階空目薬工房

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一澤帆布『帆布茶団布茶物語』案

明治まで日本にカバンはなかった。(3)

もう一つ世間一般で誤解があるのはカバンと言えば革、革は明治になってから使われるようになったと言う認識の誤りである。このため日本人は革への習熟が不充分でカバンの後進国になった、というのがまことしやかに言われているが、日本でも古代から革は武器、武具、馬具などに広く利用されていた。平凡社の日本史大辞典によれば、使われていたのは牛馬皮や鹿皮で古代では完全ななめし技術は確立されてはいなかったが、正倉院伝世品の中に、この当時の皮箱が現存している。

また鹿皮については、日本書紀に高句麗からつたえられたというなめしの新技術、脳鞣漿が行われていたとこの記してある。脳漿は馬の脳漿を使っており養老令には官馬が死ねば皮と脳を取ることが規定されていて、事実、平城京遺跡からは脳摘出された馬が出土している。
他に稲わらを燻べて煙で鞣と色づけを行う燻煙鞣しが行われていた。また鹿鞣革に漆を施した印伝の文化があり、その流れを汲む甲州印伝屋では現在でも当時の鞣し技術、藁を燃した燻煙で革をなめすふすべ鞣しで作ったバックを販売しているが実に美しい大変高い技術を持ったものである。

中世の後期になって鞣革技術は本格的に完成する。その頂点をなすのが姫路の白鞣しで1579年に播磨を平定した羽柴秀吉が名産の鞣革うぃ織田信長に献上したことは有名である。

(つづく)
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