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KOICHI FURUYAMA


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C.W.ニコル講演「イヌイットと私」(1)

私は19歳の時に小説を書いたんですよ。その小説は出版にならないで、13回書き直して、36歳の時に日本とアメリカ、英国でやっと出版になりました。しかし、絶版になりました。でも絶版になったけど、この「The White Shaman」はカナダ北極の若いイヌイットの是非読むべき本になったんですよ。だから、若いイヌイットは今でも読んでる。僕はそれが「一番の自慢だな。」と、思っています。

何で北極に行ったかというと、12歳の時なんですよ。私が住んでいた英国の町に博物館があって、その館長が子供が大好きで、土曜日の午後、雨が降ると16mmの映画を必ずやってくれたんですよ。そしてある日、アムンセンというノルウェーの有名な探検家のグリーンランドのドキュメンタリーを見たんですよ、白黒で。その中で、一番印象的だったのは、一人のイヌイットがカヤックに乗って、夏の深い入り江、フィヨルドを漕いでたんです。周りには大きな氷が浮いてて、ケワタガモがどんどん飛んで来て。

そしてその男が、細いカヤックを漕ぎながら、鳥用の重い槍で、ピューンと飛んでいるカモを落としちゃったんですよ。僕は11歳から散弾銃を撃ってました。横から鳥が飛んでくるのを立ちながら、構えて、散弾銃でも落とすのは大変。でも、この男は座って、槍で落とした。やらせじゃない。それ見た瞬間、「すごいっ!」と。

その後、氷河から大きな氷が水に落ちた。そしてすごい波が来たんですよね。そしてその男がその波をはぁーと見て、何をしたかというと、沈したんですよ、わざと。波がその上にうわーって来て、もう死んだと思った。そしたら彼はパッと笑いながら元に戻った。僕はまた「うわーっ!」と思ったんですね。それでその時から、僕はこの人達と一緒に住みたいと思ったんです。

それから、北極の本とか探検家の本、北極に居る鳥達の本とか読んで、とにかくそればっかし。それで、探検家になるために、射撃はもっと上手にならなくちゃいけないとか、体を作らなくちゃいけないと思って、リュックサック持ってウェールズの国立公園の中をずっと歩いたり、重量上げをしたり、柔道をしたり。

I was going to be an explorer!

でも、周りの大人も友達も誰も相手にしなかった。ただ一人だけは僕の夢を聞いてくれたんですよ。それはピーター・ドライバー(Peter Driver)。私の学校の生物学の先生だったんです。彼は当時、僕より10歳上。

彼も子供の時からカモ、特にケワタガモに興味を持っていたんですよ。その興味はどこで生まれたかと言うと、小説みたいですけどね。大正時代にイギリスとノルウェーが南極点まで競争しました。ノルウェー人は犬を使って、そして犬を殺して食べながら南極まで走って行った。英国のキャプテン、スコット(Scott)は、犬を殺したくない。英国人ですからね。それで、人間がソリを引っ張って行った。当然、すごい風と寒さの中で、途中で英国人は全員死んだんです。僕が居た町に、その内の一人、ウィルソン(Wilson)の石像があったんですよ。そしてキャプテンスコットの息子、ピーター・スコット(Peter Scott)は鳥が、特に渡り鳥の水鳥が大好きで、Gloucestershireに Slimbridgeという土地を手に入れて、渡り鳥の研究をやってました。

僕の先生は、大学から卒業してそこで働いてたんです。そこに、ノーベル賞を取ったコンラート・ロレンツ(Konrad Lorenz)が研究に来ました。「ソロモンの指環」を書いた人ね。オーストリア人の天才的な人と一緒に、僕の先生は研究が出来たんだと。だから、先生も北極に行ってケワタガモの研究をしたかったんですよ。だから、僕が絶対に北極に行く!と言ってたら、先生を洗脳してしまったみたいで、私が16歳の時に先生が学校を辞めて、先にカナダに渡って研究をやりだしたんですよ。そして、アシスタントが必要だと。誰を呼ぶか?決まってるでしょう。

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