町工場二階空目薬工房

KOICHI FURUYAMA


ファインアート 絵画ギャラリー
絵本・イラストレーション
自費出版
万年筆
カバン
絵画教室


 第4回トップに戻る



 HOME


C.W.ニコル講演「イヌイットと私」(4)

またウーウーウー、頭の上でその音がして、それで、エイっ!ってみんなハッとして見たら、「月に行って、月の家族と話しをした。」と。我々を見下ろして、「何でこっちの方で一生懸命アザラシ探してるんだ。南の島の方に行ってるに決まってるじゃないか、みんなそこに居るから。」と。

カナダ政府が入れたから、トナカイもその島に居たんですよ。でも、そのイヌイットはトナカイ猟はしなかったから増えた。ヒットコヤックがそっちの方にはトナカイが何頭も居るから、それを獲ればいいからと。お前たちはトナカイに行って、お前たちはあっちに行けと。4日間も旅しなくちゃいけないんですよ。たった120kmだけど、厳しいんですよ。それでみんな出かけて行ったら、彼が言った通りに動物が居たんですよ。シャーマニズムを信じるか信じないかは別だけど、彼等のやり方として本当に生き残りの術ですよ。イヌイットはデモクラシーそのままですから、みんなが信じないと動かない。僕はそれを見て、昔を感じましたな。

探検が終わったら、19歳。カナダから英国に帰って学校に行きました。でも、他の男の子が幼くて、馬鹿に見えたんですよね。僕は何回も恐怖の門を通りましたし、英国の女の子よりもイヌイットの女の子の方がずっと魅力的で可愛いしね。それに逞しくなったんです、北極で。柔道とか、レスリングとか、重量上げで。それで、プロレスにリクルートされたんです。これは儲かりました。僕のおやじは、海軍から引退して工場で働いて、ほとんど休みなく一生懸命働いて、1週間10ポンド。僕は一晩で25ポンド。月2試合あったから50ポンドですよ。それは止められないよな。でも学校がSt.Paul'sというクリスチャンの学校だったんですけど、学長に呼ばれました。僕は学校のレスリングのチームでしたけど、僕のやってることは下品で馬鹿で、とにかく辞めろと言われた。だから僕は素直でしたから辞めました、学校を。親はものすごく怒って、でもいいよと。

それで私は英国の小さな島に行ったんです。渡り鳥の調査を手伝ったり、ライフルでウサギを獲って、それを売ったりしてました。週60羽位獲りましたね。20歳で、金は貯めてた。目的は一つだけ。北極に帰ること。

ある日、電報が来ました。越冬隊のメンバーになりませんかと。それで救われましたね。今度はデモン島に行きました。この島は北海道よりちょっと大きいです。夏は探検隊が21名。冬は5名。あとは人が住んでないです。この海岸に、8千年位前からアジアから北アメリカに波になって人々が渡って来てたんです。イヌイットは最後。千年位前です。夏にゴードン・ラウダ(Gordon Lauda?)という先生がその調査に来ました。夏でも大変厳しい環境で、危ないからと、隊長が僕を付けたんですね。

そして、考古学。あれは楽しいね。例えば、そこで8百年位前の村の跡をみつけたんですよ。60軒あったのよ、家が。家の屋根は全部クジラのあご骨とかろっ骨。周りは石。あれだけの人が居たということは、それだけ食べ物が獲れたんですね。あの時期、北極は少し暖かかったんです。そしてそのイヌイットは手銛で北極セミクジラ獲ってたんですね、50頭。日本でセミクジラ獲ると、「7村の恵みになる」と言うけど、彼等は獲ってましたよ。

セイウチとかアザラシ、ジャコウウシ、それから北極イワナとか、ものすごく豊だったと思ったね。天才的な人と一緒にこの研究出来たんですよ。例えばね、その村のちょっと離れた所で、海に面して石で出来た小屋みたいなものがあるの。そして横に穴が6つあったんですよ。僕は中に入ってちょっと発掘したら、アザラシの腰の骨がいくつもあったんですよ。腰の骨に穴があいていて、そして壁には穴があいてる石もあったの。

それで僕は想像したんですね。ここに腰骨と肉があって、そこに縛ったなと。何のためか?熊が入るね。白熊はすごい力があるから、石をボンと落とすだけでは死なない訳。だから熊が入って、男達がこの横穴から槍をギャーッと刺しただろうと。でも、どこにもそれは書いてなかったのよ。それで、「想像だけ」と言われたけど、15年前に年寄りとその話しをバフィン島でしたら、「うん、昔の人はそうやって熊獲ったよ。」と。

 back  |  next 
アファンの森で語る会


copyright