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C.W.ニコル講演「捕鯨調査と庄司船長の思い出」(6)
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その後カナダの東海岸に戻ると、今度はノルウェー人ですね。大きな素晴らしいシロナガスを捕っている。でも、沿岸捕鯨なのにちゃんとクジラを揚げる所とウィンチがない。だから、鯨を曳いて港に入って、ドックと船の間の汚い水の中で大昔の方法で解剖してました。クジラの頭は重いから沈んでしまいます。背骨の後ろの肉は取れても背骨の中、ろっ骨とろっ骨の間の肉は取れない。だから、日本人と比べて半分ちょっとの肉しか取れなかったんです。そしてその肉は、汚い水で解剖しているから人間は食べられない。狐やミンクのエサ、毛皮の為の動物のエサになってたんです。だから、日本と比べるとクジラ一頭の値打ちが6分の1しかないですね。
私は一生懸命、ノルウェーの会社と政府に、「クジラを捕るならちゃんと揚げて、ちゃんと解剖をして、何も無駄にしちゃ駄目だ。」と言いました。でも無視されたんです。日本のクジラ捕りは子連れのクジラは捕ってなかった。違反ですから。シロナガスクジラも捕ってなかったです。でも、そのノルウェーの会社は平気で子連れを捕ってました。子連れを捕ると分かるよ、動かすとミルクがばーっと出るからね。私は何回も何回もレポートを書いて、何回も注意した。最後に母乳を一杯持った母クジラを引っ張って来て、子供まで殺してたんですね。国際捕鯨委員会のルールに違反してるんですよ。だから僕が怒って写真を撮ったら、そのノルウェーの大きいマネージャーが私の首を掴んでカメラを取ろうとしたんです。でも、私はイギリスで一番若いプロレスラーだったし、14歳から柔道やって、日本で空手の黒帯取って、探検ばっかりやってましたから、そのでっかいノルウェー人をちょっとボコボコにして、皆の前で港の中に放り込んだの。彼は泳げなかったの。それで溺れ始めたんです。周りのノルウェーの鯨捕りがゲラゲラ笑って。まあ、助けたんですけどね。私はクビになりました。
ただ、写真があったし、日本語でレポート書いて、友達に頼んでロシア語でレポートを書いて、それを上の者にコピー送って、「これをロシアの新聞社と日本の朝日新聞社に送ります。どうしてくれるか。」と。だから僕はクビになったけど、2ランクアップしました。そしてアザラシの調査の為に北極に送ってくれました。I’m very happy.
でも、途中でカナダの東海岸、ニューファンドランドで沿岸捕鯨をやることになって、僕は北極から呼び戻されました。日本の捕鯨船も操業するけど、日本語が出来るのが環境庁の中で僕だけだったんですね。だからお前がオブザーバーになれということでした。それで最初に乗った船が第17京丸という船だったんです。乗ってから船を見たら、なんとこれはグラスゴー、スコットランドで作られた船だったんです。南極の鯨を捕り過ぎてしまって、シロナガスも捕れない、ナガスも減った。日本は人間の食べ物の為に捕鯨をやっているから、クジラの値打ちが高いけど、英国やノルウェーは脂と肥料の為に捕ってるから鯨の値打ちが日本みたいに高くない。だからその数年前に英国は止めることにしました。その当時は国毎に枠があったんです。
英国は自分達の枠をロシアに売るか、日本に売るかと考えた。日本に売るなら船も買いなさいと。それで日本が船も買ったんですよ。だからそのグラスゴーで作られた船で、私は日本人と一緒にニューファンドランドで捕鯨をやってました。その話しを聞きたかったら、来年本が出ますから読んで下さいね。でもこれだけは言います。凄くクジラは捕れた。日本人は全く無駄をしないし、規則をきちんと守ったんです。その船の船長は庄子峰雄さんという人でした。東北の方でとても楽しい人で、僕を凄く可愛がってくれたんですね。庄子さんもちょっとした飲兵衛。夜、私がキャビンで寝ててもね、ドン、ドン、ドン!「ニック、ニックさん!!寝てる?」キャビンの中、暗いじゃない。寝てるに決まってるじゃない。でも、「今、起きたよ。」と言うと、「良かった。寝てると思った。飲まない?」と。船長が言うなら飲むしかないじゃない。全部日記に書いてあるけど、そこで色々学びました。
でもある時、クジラを曳いて入り江に入った時、もの凄い嵐だったんです。1年で一番干潮で、うねりがあったんですね。クジラを渡した時、風が凄く入り江に入って、船のお尻が動いて岩にぶつけちゃったんです。シャフトが曲がって船は動けなくなりました
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