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アラスカの旅、ニコルさんの講演を聞いて考えたこと(3)
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デナリ国立公園は、人間の存在による自然へのインパクトを極力避けるため、許可証を持った限られた数の車両以外はある地点からはその中に入ることができず、そこから先は公園のバスか歩いて入るしか手段がない。
私たちは初日に公園のシャトルバスに乗って、公園の奥地の方まで行ったのだが、車両が通行できる一本道を行って帰ってくるだけで往復12時間以上。しかも、沢山居るだろうと期待していた動物は、ほんの少ししか見ることができず、双眼鏡で覗いても点にしか見えない位の遠い距離に居るものがほとんどだった。海ではすぐ近くに動物達の息づかいを感じることが出来たのとは対象的だった。そして、それは南部アフリカで何度か経験したサファリともまた別物だった。
サバンナとツンドラという違いがあるからかもしれないが、アフリカのサファリでは車は縦横無尽に動物を求めて走り回る。タイヤの跡があちらこちらに付いているのである。デナリでは、車は一本道しか走れないし、歩く時でさえそこに道が出来てしまわない様に気を遣うというのに。反対に、動物の多さではアフリカに軍配があげる様な気がする。何しろインパラやシマウマなどは最初こそ新鮮だが、当たり前の様にそこら辺に居るので、食傷気味になる程だ。しかし逆に考えると、それだけデナリ国立公園は大きく、動物と人間が出逢わなくてもいいだけの土地があるのかもしれない。南部アフリカのサファリはせいぜい3時間がいい所だったのに、デナリは往復12時間以上である。
そしてまた、北の大地に暮らすということは動物達にとっても厳しく、そもそもの種類数が少ないのかもしれない。デナリで出逢ったグリズリーもムースもカリブーも、すぐそこまで来ている冬にせかされているかの様に、みなせっせと秋の恵みを食していた。これから北の大地は厳しい冬に向かうのだ。
デナリ滞在最後の日はとても寒い日だった。東京を出た時は真夏で30度を超えていたというのに、デナリでは0度。もしかしてそれ以下だったかもしれない。ゆっくりとトレッキングをしながら、ふと木の梢を見上げると、会いたかったワタリガラスがそこに居た。狩りの途中でワタリガラスに出逢ったら、「私に獲物を落として下さい。」と話し掛け、ワタリガラスがそれに応えたら、それはその狩りの幸運を約束してくれたものだとアサバスカンインディアンの言い伝えにあるらしい。そこで私もワタリガラスに聞いてみた。「この旅の途上には幸運が待っています様に。」と。そうしたらワタリガラスがコロン、コロンと応えてくれたのだ。何かいい事があるかしら?
次の朝起きたら、もう空気が違っていた。秋ではなく、キッパリとした冬の空気。霜が降り、空はどこまでも澄んでいた。聞けば夜中にはオーロラも出たという。
そしてそれがワタリガラスからの贈り物だったのだろうか、今までずっと雲の中に姿を隠していたマッキンリー山が姿を現してくれた。バスの運転手さんが「この夏で一番奇麗な山だ!」と太鼓判を押す程の見事さだった。ガイドブックに、「デナリ国立公園で、マッキンリー山を見ることが出来た人と出来なかった人では、デナリの印象が全く違ってしまうだろう」と書かれてある。本当にその通り、存在感のある、神々しい山だった。
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