町工場二階空目薬工房

KOICHI FURUYAMA


ファインアート 絵画ギャラリー
絵本・イラストレーション
自費出版
万年筆
カバン
絵画教室


 第6回トップに戻る



 HOME


C.W.ニコル講演「少年時代」(3)

あの当時、今の日本と違って、学校に行かない子が居れば、親は警察に注意されるんですね。それでも学校に行かないと、子供は施設に入れられるんです。だから、私は母を守らなくちゃいけないから、大嫌いな学校に行きました。そして10歳まで字は読めない。「バカだ!」といつも言われましたね。殴られて、引っ張られて、もう色々言われました。ただ、僕はどうして反発するかって、分かるんでよ。母は、美人で未亡人だったから、色々な雄がクンクンしてくるんですよ。時々「すごく自分は格好いい」と思っているEnglishが来るんですよね。俺はみーんな嫌いだった。その中に本当に気取ってるやつが居たんです。

僕が9歳の時に、ポマードをバーンと。口ひげをすーっとしてね。母が居れば、僕を見て「にたーっ」として、母が居ないと私に「フーン」とやるから、私も「イーッ」としてました。母はある時、彼のお母さんを紅茶に呼んだんですよ。母は気取って、一番いいコップを出しました。それで紅茶は、ミルクを先に入れるの。これは英国の中でも色々意見が分かれてるんですけど、ミルクは先に入れるの。それから紅茶を3分蒸らして、熱い紅茶をさーっと入れるの。そこで私はミミズを取って、コップに入れた。ミルクの中で見えないのね。それで母は気取って「お砂糖入れますか?」って。それでみんなで紅茶を飲んでいったら、途中で「わーっ!!!」って。私は母の顔を見て逃げました。必死で。でも、成功したね、ミミズ作戦。他の男も来ましたね。その男はスポーツマンだから、すぐワイシャツをめくって、力こぶを見せたい。あいつも大嫌い!

近くの公園に小さな湖があっで、そこでボートを借りられたの。日曜日にその男とのデートで、母が「あなたも来なくちゃ行けない。」と。それで、その男がやっぱりジャケットを脱いで、すぐにワイシャツをめくって、湖の真ん中まで行ったの。ボートには栓があって、僕はこっそり栓を捨てたから、水がシャーッと出てきて、小さな湖の真ん中でボートが沈み始めた。母は泳げないからヒステリー。僕も忘れてたけど、本当は泳げないの。あれは僕が栓を捨てたし、誰も見てないからばれなかったね。怪しいとされたけどね。とにかく、そういう子でしたね。最後に私が11歳の時に、背の高い、スコットランド系の海軍の人に会って、その人がハンサムでね。Englishになってるけど、スコットランド系だから、許した。それで僕は一生懸命努力して、母を結婚させた。それで私はNicolになったんです。

今はシステムが変わったけど、英国では11歳で、金のある人たちはpublic schoolに行きます。でも、publicではありませんprivateです。ハリー王子とかウィリアム王子はそういう学校に行きますね。でも、普通の人は11歳で、政府の試験があったんですよ。その試験によって、grammar schoolかsecondaryに行くシステムがあったんです。Grammar schoolに行く率はだいたい15%位。ただ地域によって、豊な地域だと25%、金のない地域だと11%位だから、全然公平じゃないの。でも、私は10歳まで字が読めなかったんですね。私が10歳の時に、母が病気になったので、僕はウェールズに返されました。そしてウェールズの学校に1年行ったんですね。

その時、ウェールズの先生方は、僕が字が読めないということで、最初は脳がおかしいと思って、特別な学校に行かせようとしたんですね。ただ、僕のおじいさんが、「こいつはね、ずるしてるだけです。絶対におかしくありません。」と言ってくれた。ある日、ウェールズの学校からおじいさんとおばあさんの家に帰ったら、誰もいないのよ。ただ、くりくりした顔の赤い男が、おじいさんの椅子に座ってるの。おじいさんの椅子に座る人はね、Jesus Christか王様しかいないと思ってたんですよね。誰も座っちゃいけないんですよ、猫以外は。「誰だ!」と思いましたね。

「Are you Clive?」「Yes.」「Come in. Do you like biscuits?」それでおばあさんのビスケットをこの男がくれるの。自分の家の様にやってるんですよ。Mr. Thomas.「私はおじいさんの友達です。おじいさんから聞いたけど、君は学校行ってるね。」「うん。」「学校どう、好き?」「嫌い。」「僕も嫌いだった。」それで不思議な事を聞いたんだなあ。「君は字が読めないの?」と。また何か言われると思ったよ。「うん、読めない。」「君は毎日学校に行ってるでしょう?」「はい。」「字が読めないんでしょう?」「はい。」そうしたら、握手してくれた。「お前は偉いんだ。こんな偉い子は珍しいよ。よく頑張りましたね。」と。「どうして字が読めないの?」って聞くから説明したんですよ。「だって、Aは[ai]でしょう。[a]じゃないでしょう。英語には、スペルと音の矛盾が一杯あるでしょう。」と。「その通り、その通りだ。でもね、読みたかったら誰でも読めるから。あんたの馬鹿な先生も出来るから、いつでも読めるね。自分で分かるね。あれだけ頑張ったから大丈夫ね。」と。その頃、私の大好きな母の妹が、恋をしたんですよ。ボーイフレンドが出来て、僕と付き合ってくれないの。漫画を読んでくれないのよ。しょうがないから、2,3日で読み書きは出来る様にしました。

ウェールズの学校はすごく厳しかったけど、優しかったんです。だから、1年学校に行って、英国に戻ったら、テストに通ってGrammar Schoolに行ったんです。もうみんながこれは何か変な事があったんじゃないかと。おやじが海軍だからなんだかんだとか。そうじゃないの。とにかく、11歳の時に新しい学校行きましたね。男の子だけのGrammar school。その頃も母はものすごい美女だったんですね。お医者さんに行って、「息子が相変わらず心臓が弱くて・・・。」と。その先生もやぶ医者で、僕を見てないんですよ。それで手紙を書いてくれる。「この子は、スポーツは出来ない子だから。」と。母が制服を買ってくれて、学校に行きました。

そして手紙を先生に渡した。先生は忙しい。40人の新しい子が居る。手紙を読んでない。一番最初の授業は体育。私はスニーカーも、ショーツも、そういうものを買ってもらった事がない。だって病気だから。それで体育の授業で「持ってない。」と言ったら、殴られたんですね。じゃあ、パンツで裸足でやれと。それで腕立て伏せとか懸垂とか、ロープを登るとか、重い棒を投げるとか、平均台の上で歩くとか、色々なテストがあって、40人の男の子で一番強かったのが僕でした。それまで、「スポーツはやっちゃ行けません。」と言われてたけど、その間、僕は森で遊んだり、近くの農家で馬の手伝いをしたり、馬に乗ったり、色々な事をやってたんですね。だから飛び出て強いの。ただ、キャッチボールは出来ないんですね。誰かボール投げたら、当たらない様にする。

だから今でも出来ないんです。それで、先生が後で手紙を読むでしょう。この子が弱いとか、スポーツが出来ないとか。もうそれでいじめが始まったんですな。英国の紳士はラグビーで決まるって言われたから、僕は「分かった!」と思って、最初にラグビーするのを見て、とにかく相手を倒せばいいなと思って、相手を倒したのに叱られた。何故かと。ボールを持ってなかったんですね。本当に僕は分からなかった。あのボールは何がそんなに大事なのか。遊びたかったらみんな順番にすればいい。取り合いする必要ないじゃないかと思ったね。とにかく駄目でした。そういう子でした。

 back  |  next 
アファンの森で語る会


copyright