町工場二階空目薬工房

KOICHI FURUYAMA


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C.W.ニコル講演「少年時代」(4)

私は本当に新しいお父さんが大好きで、今も毎朝おやじの写真に挨拶するんですよ。彼は、長い航海をするから、勿論母に手紙を書きますね。そして、それとは別に、「別に」よ、僕にも手紙を書いてくれたんですよ。そして面白い切手を貼ってくれたんですね。だから母と一緒にその切手を見て、これはどこの国から出したのかというので、地理学をもの凄く学んだんですよ。とても面白かったんですね。とにかくおやじが大好きで、自分も海軍に入ると決めた。だから12歳で海軍のcadetに入ったんです。英国では、Air force, Army, Navyのcadetは出来ますから、学校に行きながら海軍の訓練を受けたんです。

その訓練はロープワーク、帆の縫い方、まだそういうことを教えてましたよ。カヤック、射撃、機関銃、大砲、シグナル・・・、学校は退屈だけど、海軍のcadetは楽しくて、もの凄く厳しいけど、納得するんだよな大体。「鉄砲を人に向けちゃいけません。」とかね、「ブーツはちゃんと磨いてないと駄目だ。」とか。それでcadetでは水兵の格好をするんですよ。水兵のズボンは、自分でアイロンしなくちゃいけないんだけど、僕は一番よく出来た。何故かというと、おやじが教えてくれるんですよ。ただ学校ではいじめられるの。ひどい拷問を受けました。でも、海軍の訓練で体を使ってるから、筋肉が付くんですね。

それでこれも面白いんだけど、英国海軍は日英同盟の間に、柔術を訓練に入れたんですよ。このルーツは、英国で日本が軍艦を20年の間に一杯造った時代があったんですよ。大きな軍艦は大体造るのに2年かかるんですね。その間は、日本海軍の人たちと造船技術を学ぶ人たちが、一緒に英国に来るんです。最後に英国が日本海軍に船を渡すときに、その軍艦を飾るんですよ、日本の水兵が。明治時代ですよ。折り紙で花を一杯作って、何万の折り紙の花で船を飾るんです。それと提灯とかね。それで甲板の上で畳を敷いて、柔道をするんです。護身術、当て身技とか。剣道、相撲とかも見せたんですよ。ちょうどその時代、帆船から汽船に変わる頃でした。Officer達はいい学校に行ってスポーツをやっているし、まあまあいい物を食べてたけど、水兵の大部分が、大都会の貧乏な家から来るから体が出来てない。昔の帆船だったら、水兵がマストに登ったり、ロープを引っ張ったりと色々と体を作ってましたね。でも近代の船になると、船の上で体を使うのは、石炭をくべる人たちだけですね。それも腰を曲げて、決まった運動ばっかりするから、よく怪我をするの。特に船は動いてますから。

でも、日本海軍の水兵は、ものすごく体が出来て、健康そのもの。それで英国海軍は色々な海軍を見て、スウェーデンの運動と柔術を入れたんです。だから僕は12歳から柔術を習い始めたんです。そうすると、学校に行っていじめっ子が来るとね、すぐ急所を蹴飛ばして、頭突きをしたの。先生からは叱られるけど、でもけんかに勝つというのはどれほど楽しいか。それで、必死に柔術をやったの。海軍のデモンストレーションでも、八百長だけど色々な技をやりました。でも、学校ではちょっと使い過ぎ。私の海軍のインストラクターは、おやじの昔からの友人だったから、おやじを呼んで、パブで僕の話をしたらしいです。「お宅の息子が暴れて大変だ。刑務所に行くか、処刑されるかだから、何かしないと駄目ですよ。」と。「柔道習わした方がいい。」と、その人がアドバイスをくれて、それで14歳から柔道を習い始めました。その時に、小泉軍治っていう柔道の先生に会いました。小泉先生は大正の始まりに、講道館から英国に派遣されて、武道会(Budowkai)という所をロンドンで創って、英国で柔道を広めたんです。その先生が我々の町にも来て、柔道を教えてくれたんです。

先生は、最初は首がないと想像したんですよ。目が凄く細くて、頭が丸坊主でね、言葉にならないうなり声「うー、うー。」と言うと思ってたんですよ。映画の見過ぎ。怖い想像してたら、ハンサムでとてもスタイリッシュ。口ひげがあって、髪の毛はやや長くて、ちょっと白くなって。ツイードのジャケットにアスコットタイをして、言葉がものすごく奇麗で、すごい紳士。「え?」って思った。でも、まず半日はお辞儀の仕方。「お辞儀の仕方なんて覚えなくていいよ。早く当て身技を教えてくれっ。」て思ったよ。「この人はやっぱり本物じゃないな。」と思いましたよ。でも乱取りをしたら、我々のインストラクターは元コマンドの大男だったんだけど、小泉先生が出足払いをぽっとやったら、インストラクターの足が先生の肩まで行ってたよ。凄かったですね。もの凄くびっくりしましたね。力だけの柔道じゃなくて、奇麗な柔道。我々のはゴリラ柔道で、この先生の柔道は全く違う。それで僕はそれから日本に憧れました。それが15歳。

僕は、16歳で海軍に入ると決めてたんですね。おやじのサインが必要だったから。おやじに「海軍に入りたい。」と言うと、「駄目です。」と。「何で?海軍入りたい。」「あんたは駄目。」「なんで?」「『何でよ?』と聞くだろ。海軍は『何でよ』と聞かないの。あなたは駄目です。納得すれば人の言うことは聞くけど、納得しないと聞かないでしょう」「いや・・・」「またやってる。だから駄目です!」と。だから海軍には入れなかった。がっかりしたね。私のキャリアがそこで始まったかもしれないのにね。

17歳の時に北極探検に行くチャンスがあったんですね。でも、母は「駄目だ。」と。おやじは母の座布団になってるから、理解があったけど駄目だと言う。「ああ、そうか」と。おやじのサインを10日間練習しました。10日間したらおやじより上手になった。それでパスポートを取って、お金は貯めてあったから切符を買いました。ずっと北極探検家になるつもりだったから、リュックサックとかは用意してたんですね、でも、海軍に入ってから探検家になろうと思ってたんですね。南極のスコットとか色々な人は海軍から探検家になってたから。でも僕は他のルートからなったんです。それで僕はノートに書きました「ちょっとキャンプに行って来ます」と。それをテーブルに置いて8ヶ月、カナダに行ってキャンプをしました。

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